なのにブログ

詩、エッセー、すきなもの思ったことを書く

中国人

ドラッグストアのレジが中国人だった

レジをしながらキャンペーン内容とか

色々言ってたけど

全く日本語が聞き取れなかった

 

でもどの日本人のレジよりも

彼は笑顔で対応してくれた

 

日本語が聞き取れなくても

丁寧な日本語が話せなくても

笑顔の接客は大事だと思った

 

観光客の外国人は周りが見えていないから

苦手だけど

異国で住んで頑張ろうとしている外国人は

是非とも応援したい

 

職がないと嘆く日本人がたくさんいるのに

日本で働いている外国人はたくさんいる

 

彼らは幸せそうだ

日本にいることが幸せそうだ

そう見える

被災とか

被災した人とかに

地方からラーメンやら飲料やらを

大量に送ってくれる人がいるらしい

 

それは最良の善人であるようにも思えるし

たぶん人間はみんなそういう人や

助け合える人にならなければいけないのかも

しれないけれど

 

毎日弁当を作って

390円の食堂ランチをケチって

日々を暮らす私にとって

被災者のためと言えど何百個、何百本と

カップラーメンや飲料を送る余裕はない

 

毎日暮らしていくお金が必要だから

現地へ行って助けに行く時間さえない

 

私は善人にはなれないのだろうか

 

善人さを見せつけられると

きついときがあるような

犬が来た

今夜

私の家に犬が来た

 

前の犬が死んだ時に

こんな想いをするなら絶対飼いたくない

と思ったけれど

実際に新しく犬が来たら

いつかまたそういう想いをする日が来る事実が

すっかり消えたみたいな気持ちになって

ただただ嬉しくて愛らしい

 

でもまだ私たちの心の距離は遠い

彼もまだ自分の居場所を模索しているのか

他人の家にお邪魔している雰囲気で

よそよそしい

 

私の家族

ちゃんと家族

嫌いな奴

嫌いな奴がいる

到底好きにはなれない

 

好きになろうとするから

嫌いになるのかもしれない

 

なんて甘い考え

 

嫌いな奴を呪ってみた

そしたらなんだかすっきりした

 

嫌いな奴を好きになる努力をするよりも

嫌いな奴を呪ってすっきりする方が

手っ取り早いしそれでいい

切れるナイフ

まだ肌寒い季節なのに

窓を全開にして

ヒップホップを音量大きめにして

テンションあげあげとかでもなく

会話するでもなく

ただただ切れるナイフみたいな目をして

それぞれ外を見ている

2人組の男性なんだろう

いつから許されなくなるのか

わがままを言ったり

泣きわめいたり

いたずらをしてみたり

いつまで周りの人に笑って許されるのだろう

 

子供の間はそうやって周りの人が

暖かい微笑みで見守ってくれる

 

でもある時から

周りの他人はそういう行動に対して

冷たい目でみたり

見て見ないふりをしたりする

 

人は体のサイズも大きくなって

大人に進むにつれて

他人は暖かい微笑みを見せなくなる

 

子供は笑い返してくれないのに

なぜ他人は微笑むのだろう

 

微笑みを必要としている孤独な大人に

他人はなぜ微笑まないのだろう

 

その違いはなに

 

社会が人々の心を孤独なものにしていく

 

あの禿げたおじさんも

ほんの50年前はみんなに微笑まれてたのに

最後の答え

負け組と勝ち組ってある

私は自分は負け組だと思っていた

人生のどこで間違ったのか

どこでしくじったのか

そればかり考えていた

 

今勝ち組とされている人も

未来のどこかで間違ったり

しくじったりすれば忽ち

負け組の世界へようこそだ

 

家族や孫にどんなに愛されている

おじいちゃんでも

アクセルとブレーキを間違えると

最後の最後でどんでん返し

 

こんな最近のニュースを見ていても

みんなどこかでしくじっている

 

やっぱり最後の最後の寿命が尽きる時まで

結局自分は勝ち組なのか負け組なのか

分からないってことか

 

そういう人生に対する勝ち負けの価値観は

一体どこでいつ刷り込まれたのだろう