なのにブログ

詩、エッセー、すきなもの思ったことを書く

ゴールドエイジ

アメリカのゴールドエイジが好きだ

フィッツジェラルドが描くような

華やかで煌びやかでゴージャスで

笑いと気品と裕福

なにもかもが揃っている最高の時代

 

ゴールドエイジの衰退は

フィッツジェラルドの衰退でもある

残念なことだ

 

でも私がそういう風に思うのは

あくまで私が華やかな舞台から見てるからで

貧富の差もそれはそれは激しい時代でもあった

 

貧の舞台から見ると

きっとゴールドエイジなんて知らん!とでも

言いたくなるしきっとそんなに良いものでも

なかったろう

 

常に貧富は対局にあって

なぜか私はいつでも裕福な舞台にいるから

きっと真実なんて何も見えてない

クリーン

この社会はあまりにもクリーンだ

少し汚いことをすれば暴かれ

すべて監視されている

 

一人一人に製造番号のような

正しくは個人番号なのだけど

私たちは数字で区別されている

 

一回でも汚いことをすればそこで終わり

這い上がる術もない

死ぬまでその汚れを背負わなければならない

どんなに心を入れ替えても

どんなに反省しても

その一回の過ちはどこまでも隣にいる

 

生きるってなんだろう

一回過ちを犯したら

もう生きてて何の意味があるのだろう

 

人の心って

他人の一回の過ちも

許せないようになったのかな

 

その残酷な一人が私でもある

安倍総理が過去に一度失敗した

アベノミクスで返り咲いたけど

私は今日まで一度も信用しなかった

どうせまた失敗すると

 

私も優しさのない現代人なんだな

人生やり直し

人生をやり直すためには

どこからやり直したら良いのかと考える

 

二十歳に戻ったとしても既に遅し

小学生ぐらいに戻らないとだめな気がする

少なくとも中学生かな

 

でもその時期って

学校行事が絶対あって

中でも修学旅行とか泊まりの旅行をまた

体験しないといけないと思うと面倒くさい

 

昔から私は旅行が苦手だ

五分前行動を指示された小学生の時の

旅行が心底嫌だった

 

五分前行動をしたとて

私個人の空白の五分が出てくる

それがとても苦痛だった

 

そういうことを思い出すと

今の方が断然自由だ

遅刻をして自分に責任があろうとて

自分のやり方でやりたい

 

人生やり直すってあまりにも面倒だし

それなら今のままで良いかってなる

 

それほど五分前行動が嫌いだ

愛っていうのはただの綺麗事だと思ってた

愛を語る人は自分に酔ってるだけなのだと

思ってたけど

 

愛されているだけでは愛なんて分からなくて

誰かを愛して初めて愛が分かるんだなと

発見した

 

だから赤ちゃんとか子供とか小学生とか

中学生とか高校生とかたぶんみんな

愛されてるばかりで

本気で誰かを愛したことがないから

愛なんて分からないと思う

 

大人になってもわからない人も

たくさんいるのではないだろうか

 

愛か何か知らないけれど

たぶん私の感じたそれは間違いなく

何千年も前から哲学者や心理学者が

言葉にしようとして

でもいまだに簡単には

万人に理解されないでいる

愛というやつだと思う

 

これを言葉にしたり

理解してもらおうとしたり

教えようとするのはきっとナンセンスで

生きる過程で個々が発見するものなのかもな

働き方

フランス人は日本人の働き方を疑問に思う

アメリカ人は日本人の働き方を疑問に思う

などそういった記事をネットでよく目にする

 

そしてもちろん私も

疑問に思うことは多々ある

 

生産性どうなのとか

そんなんで幸せになれるのとか

もっと良い働き方があるのではとか

もっと自分の人生生きたいとか

今しかできないこともやりたいとか

そんなことをたくさん思う

 

でも実際そういう疑問を職場に

投げかけると上の人に目をつけられる

何をいっても考慮してもらえず

すべては否定される

 

上の人

私よりも何十年も長く生きてきて

私なんてすぐに丸め込まれて

 

たぶん色々思ってる若者はたくさんいる

若者の方が現実を世界を見ている

でも誰もきっと年の功には勝てなくて

日本はずっと今でも変わらない

 

いつでも年上が偉いから

私もいつかおばさんになったら

自分の老後さえ保障されてたらそれで良くて

変化を嫌う保守的な人になるのかな