なのにブログ

詩、エッセー、すきなもの思ったことを書く

常識をいくつ守る?

人を殺してはいけない世界の常識と

休暇は一週間前に知らせる日本の社会の常識と

その二つは同じ常識なのだろうか

 

社会の暗黙のルールみたいな常識みたいなの

誰から誰までのルールなの

あらゆるものに常識は存在していて

それを全て守ると個は失われて

ただそこに平和があるだけ

 

楽しさも悲しさも嬉しさもなくて

平和があるだけ

そのままでは優しささえもなくなって

ただ平和が存在するだけ

住みにくい

川も自然もここにはあるのに

とても住みづらい

 

そこには住人にしか分からない

しがらみがあるからだ  きっと

 

京都ブランドっていう見栄みたいなの

みんな捨ててほしい

少なくとも私には必要ないから

 

朝風呂

ブランチの時間に風呂に入った

自分のためだけに湯を溜め沸かす

 

時代を遡って

1783年ここはヴェルサイユ

 

マリーアントワネットが

風呂に入っているシーンが頭に浮かんだ

 

暖かい湯をいっぱい溜めて使って

民間たちはたぶん

シャワーさえもろくにできないというのに

 

そんな時代を経て

今私たちは当たり前に風呂に入り裕福だ