なのにブログ

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水滴の唄

三黙堂のひとつ

「浴室」をやってみた

 

浴室で一言も話さず声を出さず

ただ入浴に集中してみる

 

どこからか

水滴が一滴ずつ落ちる音

ぴちょん

ぴちょん

 

低音だったり高音だったり

それはしっかり音楽になっていた

 

あまりにもよくできた音楽だったから

誰かが近くでCDでも流しているのではと

窓を開けて耳を傾けてみたけど

それらしきものは聞こえなかった

 

水滴の唄は

とても楽しい唄だった

八方塞がり

きっと夢なんか叶わなくて

夢を叶えたようになっている人は

気付けばそうなってましたという人が

多いように思う

 

我武者羅に頑張っても叶わない人がいれば

特に努力もしていないのに

成り行きで誰かの夢になっている人もいる

 

私は成り行きでどこにたどり着くのだろう

誰になるのだろう

 

31歳になろうとしてるこの瞬間も

まだ私は何になるのか分からないままだ

 

母でも妻でも子供でもない

芸能人でも何かの先生でもない

私はまだ誰でもないのだ

色の知識がない

例えばさ

こーんな青でピンクで

グラデーションになってて

 

目の前に見る空の色はいつも

絵の具で表現したくなる

 

でも色の知識がないために

たぶんできないだろうなと諦めてしまう

 

好きな空の色を自由に

自分で生み出せたらなんて素敵だろう

 

ひとつと同じ空の色がないように

私だけの空を表現したくなる

私の人生

私の両親は大学に行けとか結婚しろとか孫の顔が見たいとか、そういう凡庸なことを言わない人たちで、なんだかとてもかっこいいと思った。

 

私の母に至っては、「夫や子供のために生きている人ってアホちゃうか。と思う」と言ってて、私の母は確かに自由だし家庭なんかのために自分を犠牲にする人ではないしかっこいいと思った。

 

そんな両親がいるにも関わらず私はいつのまにか護りの体制に入ってて世間の価値観に踊らされていたし、そんな両親に育てられたのだからきっと今更、凡庸な人生は送れないのだと悟った。

 

周りが明らかに凡庸な人生を送っていて、私も彼女たちが無理に着飾った幸せを見せつけてくるたびに、それに翻弄されて劣等感を感じていたけれど、でも私の人生は自由だし自分の生きたいように生きようと思った。

 

今日、私の父はわたしにいった。

 

結婚なんてするなよ、やりたいことをやって自由な人生を生きなさいって。

空がない

夜空を見上げようと思ったら

そこは宇宙だった

 

広い広い真っ暗な宇宙だった

 

月は自分が月だと知らなくて

ただこちらを見ている

 

正体のわからないどこかのきみが

私の心を揺さぶって

僕を思い出してと心に訴えてくる